もし私が男性不妊じゃなかったら、どんな人生だったのだろう
前前職をそのまま続けていただろうか
今の仕事を個人事業主としてスタートさせていただろうか
もし、今、万が一にでも子宝に恵まれたら、子どもに胸を張って『父さんの仕事は○○だ』といえるだろうか
男性不妊ということを理由に、諦め癖みたいなものが身についてしまっているのだろうか
自分でやりたいといって、かみさんの反対を押し切ってまでスタートさせた今の仕事も、若干マンネリ化してきてしまって、道に迷っています。
そんな折、‘おおたよしたか’さんのブログを発見しました。
高度の乏精子症と判断され、原因不明といわれたようですが、セカンドオピニオンを受けた男性不妊専門のクリニックで精巣静脈瘤ということが判明したそうです。
そのブログをみて、埼玉の不妊専門クリニックを受診してみたいと、再度思うようになりました。
冒頭で触れた話題は、少し希望が見えた時にふと思ったことです。
これまで、原因不明の乏精子症だといわれ、自暴自棄のような感じになっていましたが、もしかしたら原因がわかるかもしれない、という期待が芽生えたのです。
そして、もし、子どもを授かったら・・・と想像した時、ふと、これまでの自分の言動が全て男性不妊と隣り合わせだったと改めて思いました。
そう思ったとたん
一般的な夫婦のように子どもを授かったとしたら、どんな人生を歩んでいきたかったの?
じゃあ、自分は結局何がしたいの?
自分の道を定められないのを、男性不妊のせいにしていただけなのかもしれません。
それはそれで、良いと思います。本当に先の見えない暗闇の中に放り出された感覚になりますから。
でも、重要なのは、子どもがいようがいまいが、自分はどんな人生を生きていきたいか、ということなのではないか、と頭の片隅にふわっと浮かびました。
まだ、結論付けれませんが、少し、前に進めたような気がした今日でした。
感謝
日々精進!
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